真備町つうしん katanoB

大水害から安全、安心のまちづくりへ 市民目線から調査・記録、提案していきます。

カテゴリ: なぜ水害が起きたのか

9月5日、地元山陽放送(RSK)から高馬川が決壊していた映像が放送されました。

7月6日23時30分ごろには地元の方が高馬川から西側への越流を確認しています。
わずか30分ほどで小田川支流の堤防は決壊しています。
この映像からい貴重な情報を得ることができました。
高馬川062358ドラレコ
高馬川の堤防上から小田川方向の画像です。
貴重な情報が読み取れます。
7月6日 23時59分です。
小田川堤防上に3台、計5台以上の車と人が来ていました。
右側の集会所(流失)で地元の人が警戒をしていました。(23:30頃避難)
水面に反射する光から小田川は堤防ぎりぎりまで水がきています。
越水はまだ確認できません。
決壊して高馬川の水位はかなり低くなっています。
小田川と高馬川からの水位差から小田川から激しく高馬川の決壊場所へ流入していると思われます。
堤防上の越流で小田川からの逆流が確認できます。
高馬川062358ドラレコ

同じころ高梁川の堤防上で撮影した方がおられました。
7日午前0時ごろ 高梁川では増水しており、階段から13段の下に水が来ていました。
高梁川 070700
小田川の合流点から800m上流地点です。
現地に行ってみました。
13段目は2.1mありました。
高梁川 13段目

高馬川の越水開始    6日23時30分頃
高馬川の西側堤防が決壊 6日23時55分頃
小田川の3.5km地点では堤防ぎりぎりまで水が来ていました。
高梁川は堤防上から2.1m下まで水が来ていました。

続きます

7月西日本大水害で倉敷市真備町は甚大な被害を受けました。

私のネット環境が回復したのが8月21日でした。
じっとしていると底の知れない恐怖・不安に襲われ、現実から逃れるように働いていた片付け・掃除が一段落したころでした。

真備町の住宅は4分の3以上、行政・水道・店・工場・病院・流通・通信などは壊滅的でした。

報道では真備町の4分の1水没と報道されましたが、床上浸水のイメージです。

住みやすく豊かな真備町は2018年7月7日に全壊しました。
新聞 4分の1

今回の水害の原因はまだ分かりませんが、国も混乱していると思います。(全力で備える中国地方整備局

私たちの手で、安全・安心の町をつくる機会でもあります。

私はブログは初めてです。
今回の水害を自分自身で調べ、事例を調べます。
自然のメカニズム、小田川の過去と現在、水の流れなど基礎から治水を考えます。

真備町の未来を考え、改善・解決案を実現していきたいと思います。
今後想定される災害に備えて。

※この項目は書きかけです。随時変更する可能性があります。
 ブログタイトルは検索ワードを入れています。

ハザードマップと同じとか一致したとの記事を見るたびに私は違和感を感じます。
「一致した」、「予想されていた」で片付けてはいけないと思うのです。
※以下は素人の私の推論です。(不明な点は実験等を通じて今後確かめるていくつもりです)

真備町のハザードマップは高梁川と小田川の堤防の高さに沿っています。
増水したときに小田川の堤防が決壊したらマップどおりになります。

どのように水が襲ってくるか、どんな危険があるかまでは想定されていなかったと思います。
ハザードマップ
想定されていた「想定外」の大雨によって、堤防が7月7日の未明に決壊しました。
決壊場所 井領 国土交通省

真備町は、高梁川と小田川の強固な堤防に囲まれ、末政川や高馬川などの土手によって
船の防水区画のように仕切られていました。
まさか全部の区画が甚大な被害を受けるとは思っていませんでした。

45年前の水害は内水(市街地側に降った雨水)が原因でした。
ゆっくり水が増えてきて、町の一部が湖になって孤立しました。

支流の土手のほとんどが決壊し、そこから小田川の水が流れ込んで、家を破壊するほどの
水流が襲ってきて、気がついた時には逃げることもできず、51人もの人が亡くなる
なんて誰も想像できなかったのです。

ハザードマップを定めた倉敷市も真備支所の防災対策本部は小田川堤防決壊直後には
全ての機能を失い、職員が孤立状態となって翌日ボートで救助されています。
ハザードマップ区画
オレンジ色の線は川の土手。土手に挟まれた地区が防水区画の役割をしていました。

真備町も中国地方整備局もポンプ場を整備するなど、限られた予算のなかで万全の対応をしていました。

今回の水害は予想の範囲をはるかに超えていました。
それもとてつもなく超えていました。

ハザードマップを作成した人又は組織はこの災害を予想していたのでしょうか。
予想できていたのなら対応できるし、するはずです。
 小田川合流点 全力で備える中国地方整備局

今回の水害の原因の一つとされている小田川と高梁川の合流点の航空写真です。

100年以上前に設計されたものです。
(遊見ぃ玉島運営委員会様の高梁川の改修から)

小田川の川幅が導流堤によって半分まで狭められています。
これでは水が流れにくいのではないかと思われます。

どの様な仕組みでつくられているのか考えてみました。
小田川合流点 02
googleの航空写真  左上色の濃い部分は2018年5月頃 右下は2016年以前と思われます。

明治30年の小田川と高梁川です。
高梁川は現在の小田川合流点の前で東西に分かれ、小田川は高梁川の西流に合流しています。

小田川明治30年

現代の高梁川と小田川です。
長年水害に苦しめられた人々が当時の技術の粋を結集して作った堤防で、
大正14年(1925年)に完成しています。
私の祖父(明治38年生)も生前堤防の土運びの仕事をしたと言っていました。
小田川合流点 03

続きます。

↑このページのトップヘ