真備町つうしん katanoB

大水害から安全、安心のまちづくりへ 市民目線から調査・記録、提案していきます。

2018年09月

朝には雨があがりました。
小田川は増水していましたが、30cmくらい下がっています。
水はゆっくり流れています。
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小川の合流点から500m下流の地点に行ってみました。
水が少し早く流れています。勾配が高梁川と同じになっているからでしょうか。
高梁川が向こうを流れています。
合流点の下流

小田川と高梁川は合流点から堤によって約1.8km別けられています。
ここも木が大きくなっています。
小田川分流堤

今度は上流側(合流点方向)を見てみます。
木がすごい状態になっています。
P1070942

洪水の時に水が流れるのか不安になります。

公費解体の説明会がありました。
解体費用が全額支給されます。(倉敷市が算定する額を超える部分は支給されません)

説明会の初日は会場に入り切れず、出席をあきらめた人もいました。

駐車場も満車です。遠くの真備支所駐車場から歩いてくる人もいました。
P1070886
中央奥が説明会場の真備町公民館 

リフォームや修理は対象外なので希望者が多いようです。。
公費解体はアパートも対象になるようです。


アパートの場合は(生活に直接必要がない)個人資産ということで住宅のような支援はありません。
また、事業者としての補助金もありません。
アパートは水災保険が必須です。(泣)
P1070898

アパートの解体は当分続きます。



今回の水害の原因の一つとされている小田川と高梁川の合流点の航空写真です。

100年以上前に設計されたものです。
(遊見ぃ玉島運営委員会様の高梁川の改修から)

小田川の川幅が導流堤によって半分まで狭められています。
これでは水が流れにくいのではないかと思われます。

どの様な仕組みでつくられているのか考えてみました。
小田川合流点 02
googleの航空写真  左上色の濃い部分は2018年5月頃 右下は2016年以前と思われます。

明治30年の小田川と高梁川です。
高梁川は現在の小田川合流点の前で東西に分かれ、小田川は高梁川の西流に合流しています。

小田川明治30年

現代の高梁川と小田川です。
長年水害に苦しめられた人々が当時の技術の粋を結集して作った堤防で、
大正14年(1925年)に完成しています。
私の祖父(明治38年生)も生前堤防の土運びの仕事をしたと言っていました。
小田川合流点 03

続きます。

翌日病院へ治療に行きました。

病院も被災しました。仮設の診療施設です。

P1070876
最初に麻酔注射(激痛)
すぐに痛みが無くなり治療が始まったようです。(患部や治療の様子は見えません)
医師が看護師とやり取りしながら治療が進みます。
「暗いな、ライト持ってきて」
「黒いものが見えた」
「ルーペが無いかな」
「黒いものが2つとれた」
5分くらいで終了
注射(混合ワクチンの効果を体に思い出させる)を打って、薬をもらいました。

なお、破傷風は嫌気性の菌(ボツリヌス菌と似ている)のため、

傷が浅い場合(擦り傷)はよく洗って(異物をとって)消毒すれば
発症の心配はほぼ無いそうです。

私以外にもボランティアさんなど釘を踏んで来院する人が来るそうです。

最後に若い看護師さんから「踏んだり、蹴ったりでしたね」と言われました。
座布団1枚 www


待合室に貼ってあった手書きのお知らせ
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少しづつ復興してきているようです。
こんな情報が必要なんです。

記念病院の皆さんありがとうございました。





昨日は壁を解体していました。
石膏ボードを壊そうとして思いっきり蹴ったら
足に激痛が・・・
ボードの裏側から釘が出ていたのに気が付きませんでした。
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長靴を貫いて、1cm以上刺さったと思います。
カビと錆、泥も付いていて大変危険です。
破傷風が心配なので病院へ行きました。

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傷口です。
汚い足ですみません。



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