2018年09月
被災家屋の公費解体の説明会がありました
小田川堤防はなぜ決壊したのか 小田川合流点を見る
今回の水害の原因の一つとされている小田川と高梁川の合流点の航空写真です。
100年以上前に設計されたものです。
(遊見ぃ玉島運営委員会様の高梁川の改修から)
小田川の川幅が導流堤によって半分まで狭められています。
これでは水が流れにくいのではないかと思われます。
どの様な仕組みでつくられているのか考えてみました。
googleの航空写真 左上色の濃い部分は2018年5月頃 右下は2016年以前と思われます。
明治30年の小田川と高梁川です。
高梁川は現在の小田川合流点の前で東西に分かれ、小田川は高梁川の西流に合流しています。
現代の高梁川と小田川です。
長年水害に苦しめられた人々が当時の技術の粋を結集して作った堤防で、
大正14年(1925年)に完成しています。
私の祖父(明治38年生)も生前堤防の土運びの仕事をしたと言っていました。
続きます。
100年以上前に設計されたものです。
(遊見ぃ玉島運営委員会様の高梁川の改修から)
小田川の川幅が導流堤によって半分まで狭められています。
これでは水が流れにくいのではないかと思われます。
どの様な仕組みでつくられているのか考えてみました。
googleの航空写真 左上色の濃い部分は2018年5月頃 右下は2016年以前と思われます。
明治30年の小田川と高梁川です。
高梁川は現在の小田川合流点の前で東西に分かれ、小田川は高梁川の西流に合流しています。
現代の高梁川と小田川です。
長年水害に苦しめられた人々が当時の技術の粋を結集して作った堤防で、
大正14年(1925年)に完成しています。
私の祖父(明治38年生)も生前堤防の土運びの仕事をしたと言っていました。
続きます。
真備記念病院(仮設)に治療に行きました
翌日病院へ治療に行きました。
病院も被災しました。仮設の診療施設です。
最初に麻酔注射(激痛)
すぐに痛みが無くなり治療が始まったようです。(患部や治療の様子は見えません)
医師が看護師とやり取りしながら治療が進みます。
「暗いな、ライト持ってきて」
「黒いものが見えた」
「ルーペが無いかな」
「黒いものが2つとれた」
5分くらいで終了
注射(混合ワクチンの効果を体に思い出させる)を打って、薬をもらいました。
なお、破傷風は嫌気性の菌(ボツリヌス菌と似ている)のため、
傷が浅い場合(擦り傷)はよく洗って(異物をとって)消毒すれば
発症の心配はほぼ無いそうです。
私以外にもボランティアさんなど釘を踏んで来院する人が来るそうです。
最後に若い看護師さんから「踏んだり、蹴ったりでしたね」と言われました。
座布団1枚 www
待合室に貼ってあった手書きのお知らせ
少しづつ復興してきているようです。
こんな情報が必要なんです。
記念病院の皆さんありがとうございました。
病院も被災しました。仮設の診療施設です。
最初に麻酔注射(激痛)
すぐに痛みが無くなり治療が始まったようです。(患部や治療の様子は見えません)
医師が看護師とやり取りしながら治療が進みます。
「暗いな、ライト持ってきて」
「黒いものが見えた」
「ルーペが無いかな」
「黒いものが2つとれた」
5分くらいで終了
注射(混合ワクチンの効果を体に思い出させる)を打って、薬をもらいました。
なお、破傷風は嫌気性の菌(ボツリヌス菌と似ている)のため、
傷が浅い場合(擦り傷)はよく洗って(異物をとって)消毒すれば
発症の心配はほぼ無いそうです。
私以外にもボランティアさんなど釘を踏んで来院する人が来るそうです。
最後に若い看護師さんから「踏んだり、蹴ったりでしたね」と言われました。
座布団1枚 www
待合室に貼ってあった手書きのお知らせ
少しづつ復興してきているようです。
こんな情報が必要なんです。
記念病院の皆さんありがとうございました。